▼無駄なおしゃべりがゆとりを生み、無駄やゆとりが企業犯罪を防止する──三菱グループの場合

http://www.mri.co.jp/COLUMN/ASPECT/NOGUCHI/20060526NK.html

不祥事の構造(その2) 〜認識論の視点から〜

三菱総合研究所 2006.05.26
シンクタンクの視点から 研究理事 野口和彦 氏

価値観と認識論

価値観と認識論といえば、哲学上のテーマのようだが、いや、野口さんにとっては哲学的な課題なのかもしれない。
前回、恥の文化に基づく公共意識と遵法意識の希薄について言及されたがこれは、「日本社会の風土となっている共通の価値観の視点」であった。
今日は「認識論の視点」から考えてみてはります。何が認識論かというと、不祥事を不祥事として認識しているかしていないかという事後アンケート的な認識論でおます。

  • 1つは、その行為自体の違法性を認識した上で、行動を実行している場合であり、
  • もう1つは、自分の行為自体の違法性を認識しておらず、不祥事を発生させている場合である。

そもそも不祥事の発生が継続する理由は、不祥事対応が「不祥事として現れた事態」への対応にとどまり、根本原因が改善されないことによると考えられる。



違法性を認識した上で違法行為を行ってしまう行動メカニズム

1. 優先順位の高い事項を実施するために、多少の問題に目をつぶるケース

利益を確保するといったような優先度が高い目標を達成するために、これぐらいの違法行為は構わないという判断を行うケース等がこれに当たる。このようなことを生じさせる原因の1つは、その組織の評価体系にある場合が大きい。

2. 業務等に関する他の制限で、違法性を回避できないケース

納期の切迫や人員不足による手抜き、持ち帰り残業などでの情報漏えい。
こんなん、企業の責任やんか。
でも「メカニズム」なんやて。


悪しきことであるとの認識がないまま違法行為が発生するメカニズム

1. 従来からの習慣となっていて、悪しきことであるとの認識が薄い場合

サービス残業や談合等がこれに当たる。

2. 業界の常識が社会の常識と異なっていた場合

業界の視点から見ると、全員が損をせず共同で生き残る良い仕組みのように見えてしまい、社会からの批判が単なる建前に思えてしまって、改善に繋がらないのである。

3. チェックが形骸化していて違法性を発見できない場合

現場は不祥事が指摘されないという現状から、自分の行動には問題がないと思い込もうとする。このような意識構造の中で、不祥事が発生するケースがある。

何が意識「構造」なのか。会社の命令や業績主義・成果主義が安全確保や遵法意識を抑圧し麻痺させる、毎年・毎月・毎週・毎日、遵法と安全ではなく効率と業績とを労働者に強いる・強いられる労務行為がチェックの形骸化を再生産しているのではないのか。

おしゃべりで道徳心を養おう?

不祥事を防ぐ最大のポイントは、経営者から現場まで、「・・・はいけないことである」という価値観を共有することである。……
価値の共有のためには、日頃の対話が重要である。

人間関係や価値の共有のためには、会議での意思統一・認識の一致を確認するだけでは「成立するようなものではない」。日頃の対話が重要であって、「一見無駄に見えるおしゃべりタイムも重要である。無駄ができる。これをゆとりとも言う」。
ゲロ爆! 無駄口をたたく暇があるの?

三菱総研は無駄。それは新たな企業風土。

そろそろ、「無駄を省く」という大量生産時代の経営価値から脱却して、新たな企業風土を創る時ではないだろうか。

これでご飯食べているのだろうから、うらやましいね。
例えば、不祥事を大学入試におけるカンニングで置き換えてみるとすばらしい認識論が生成されます。


まとめてみましょう。
不祥事のくり返しは根本原因が解決していないからである。それは不祥事の違法性や危険性について知らないか、知っていても容易に踏みにじってしまうという、企業の無駄を排した風土にある。無駄がないと方針が徹底されず、容易に違法で危険なことをやってしまって、知らなかったか仕方がなかったかのどちらかなのである。
人を増やして・納期を遅らせて、無駄口をたたけば、
  「ああ、これはあぶないなぁ〜」
  「これって、ヤバイんのとちゃうん〜?」
  「オレ、しゃちょーに言うてくるわ」
という認識も会話もできて、不祥事が防げるのである。
不祥事を起こさない会社に就職したいものだ。