▼企業群の「不祥事」多発は幼稚な企業の拝金主義とそれを助長した規制緩和でしょ

http://www.mri.co.jp/COLUMN/ASPECT/NOGUCHI/20051215NK.html
三菱総合研究所
2005.12.15
シンクタンクの視点から

不祥事の構造(その1)〜日本社会の風土である「共通の価値観」の視点から〜

参与 野口和彦氏

見出しはそのままに残して要約するとこうだ。

不祥事は特定企業の「異質な行動」によって生じるのか?

ここで言う不祥事とは何か。談合、偽装、虚偽報告、手抜き、データ改ざん、脱税等々が考えられる。
そして、個人責任・企業責任は追究されるべきではあるが、不祥事の多発は、「国民性や社会構造の問題」「日本社会の価値構造自体」に問題があるという。
なぜか。不祥事が多いから。(爆)
以下、企業不祥事は国民性のせいだという論が展開され、「企業倫理」という言葉も出てこない。

日本における公共性の位置づけ

企業群の不祥事が多いのは、「公共意識」が弱い(という国民性)からだという。
日本の公共意識は「武士的道徳の価値観は、道徳心の高さ、世間体を気にする日本特有の恥の文化」に基づいていて、企業群にとっての「仲間内」の相互被牽制・相互被監視による「世間体」が企業の暴走のストッパーになっているのだという。
ところが、「仲間内の価値が、外部の市民社会の価値と乖離していた場合(つまり企業群が消費者市民やその人権を無視したり蔑視したりし、市民的道徳よりも利益を重視した場合)、この恥の文化は不祥事の歯止めとはならない。むしろ、業界(身内)の常識と異なる行動を取ることこそが、仲間内の調和を乱す恥ずかしい行為と捉えられる場合があるのだ。」


ものすごい分析。なんという中学生的道徳。そんな「公共意識」なんて偽善・欺瞞以外の何ものでもない。
「赤信号、みんなで渡れば恐くない」どころか「恥ずかしくない」
それどころか、「自分だけ 渡らぬは恥 赤信号」

公共意識の問題はさんざん青年たち、子どもたちを叩き、教育基本法改悪の口実とされているが、何より公共意識が低いのは企業群である。
しかも青年たちの「公共意識」の希薄さはせいぜいコンビニ前での座り込みや電車内化粧にすぎないのに、企業群の「公共意識」の希薄さによる「不祥事」は国益を損ない、防衛を企業に食い物に差出し、人命を危機にさらしているではないか。こうした非道な「不祥事」が電車内化粧の延長だとでも言うのか。

日本における順法精神とは

企業には順法意識も希薄である。(順法=遵法はFEPから教えられた)
「日本社会では、規則をその規則どおり厳密に適用するということを是としない文化がある。」ただし、それが「「安全」に適用されると「規則には違反しているが安全には問題がない」ということとなる」ので、危険だと。
企業に法を遵守させるには、「まず〔不〕必要な規則や現状にそぐわない規則は撤廃・改善して、規則に対する不信感や曖昧性を排除して、信頼感を持つことが重要であり、一旦定められた規則は遵守するという風土を構築する」ことが必要だという。


告白:幼稚な企業倫理、拝金主義、希薄な公共意識・遵法意識

びっくり幼稚な日本のオトナ

参与という肩書きがどのような位置づけなのか、著者の野口氏がどんなことを他に書いているのか未知であるが、天下の三菱を冠するシンクタンクが世間に公表している「不祥事」の分析がこんなものだとは、何をシンクしているのか、雑念タンクなのかとすら感じられる。
これでは企業の不祥事は日本の風土のせいだというふざけた結論以外に出てこない。

当たっている幼稚性の指摘

では、氏の論は間違っているのか? 資本の論理、つまり資本にとっての市民社会・市民道徳・法・人権というルールとルールの背後にある人間というものが無価値であること、資本の論理が大企業の幹部たちの人格にまで浸透し拝金主義が生きて飯を食っているということに言及していないというだけで、氏の論はウソではないのだろう。三菱やその他氏の見てきた企業の幹部たちはこのような幼稚な公共意識と遵法精神しか持ち合わせていないのであろう。
ただ、幼稚だということを反省してみせても、告発にはなっていないし、企業にどんな修練が必要かも言わないし、何が欠けているかも述べないし、国民性と不振を招く法律とが悪いかのようにしか述べない。


会社法に教育条項と強化された厳罰条項を取り入れたらどうかとか、公共はそもそも「恥」で成り立っているのではないとか、遵法精神とはとかネタはたくさんあるけれど、あまりにばかばかしくくだらない元ネタなのでやめる。
幼稚とはまさに社会性の乏しいこと、常識のないこと、前公共的であること。(だからといって無邪気だとは言わせないぞ)
企業群の「不祥事」多発は幼稚な企業の拝金主義とそれを助長した規制緩和でしょ