▼愛国者としての宮本顕治

昨日は故宮本顕治氏の共産党の葬儀であったらしい。
不破氏は宮本氏の功績について、戦前、50年代、60年代の三期に分けて振り返る弔辞を読んだとのこと。厳かに故宮本顕治元議長の葬儀参照。
宮本氏が共産党の書記長になったのは1958年、そして1970年には中央委員会委員長に選ばれている。また、1982年に議長、1997年に党の大会を欠席したまま名誉議長となった。
不破氏は1970年に書記長、1982年に委員長に選出されている。不破氏がなんでまた70年代以降の宮本氏の諸活動について「振り返る」ことを弔辞においてしなかったのか、週刊誌的な疑問と興味がなくはない。

日本のシンボルは富士山

宮本顕治氏の長男、宮本太郎氏によれば、宮本顕治氏は「たいへんな愛国者」で、共産党のポスターに富士山を載せることを主張してやまなかったそうである。
「晩年は寛容になった」とか書いてあったように思うのだが、70年代から90年代末に引退するまで、どうだったのかと、これまた疑問と興味がなくはない。



ただ、こうした個人的な資質やそれに対する周囲の対応については、そこからなにがしかの教訓や法則というものが引き出されないのなら、読み捨てのゴシップに過ぎない。